うつで休職した話

体調と治療の記録

自己肯定感を他人からの賞賛に頼るデメリット

私には「自己価値感を感じながらモチベーションを持って働く」ということがすごく難しかった。モチベーション発信で仕事をしている人、自分が望む仕事を嬉々としてしているような人は、そんなことはないのかもしれない。入社当初からやりたかった仕事はさせてもらえずに歩んできた私は、組織における自己価値を見出せないでいた。仕事がうまくいかないのは、仕事内容が合っていないからだと思っていた。思えば一種の自己防衛だったのかもしれない。

実際のところ、私がうつになってしまったのは、仕事が合わなかったことが直接的な原因ではない。と、思う。原因は、自己価値感や自己肯定感が低かったこと、それを高める方法が分からなかったことが大きかったように思う。肯定感を自ら生み出すことができずに、自己価値の基準を他人に求めていたからだ。

私は根っこの部分で、自分はこの仕事に向いてない、そもそも社会人として私が仕事ができるタイプな訳がない、と思っていた。

私の会社には、頭がとてもキレるいわゆるデキる人が数多くおり、その方々の自己主張はめちゃ強かった。その人たちと自分と比較しては、少しだけ伸びた自信の芽を自らポキポキ折っていた。自分を卑下しすぎてもダメだと言われてからは、背伸びしてデキるふりをしていた。でも、いつも命を脅かされているような、どこに向かえばいいのかも分からない、群れからはぐれた小猿のような不安感があった。

これほど自信がなかったのも、何を隠そう、私は金融マンのくせに数字が苦手だったからだ。根っからの文系で、感情とか感性で理解するタイプだし、論理的に説明するのが苦手。数字が大の苦手で、浪人して苦手な数学に最も時間をかけたにもかかわらず、センター試験の数ⅡBで30点台を取った。自他共に認める数学苦手脳。内定をもらった時には、周りから「お前が金融に!?」と驚かれたものだった。この時から、私は何かの間違いでこの会社に入ってしまったのだ、と細く長く思っていた。

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4年目くらいでポツポツ大きめの仕事をもらえるようになった時、あまりにも仕事を回すのが下手すぎて、自分が迷惑をかけてばかりに感じ、辞めた方がいいかもしれないと思ったことがあった。でも、普段は厳しい課長が「あいつはこの仕事に向いてるよ」と先輩に言ってたのを又聞きして、「そうなんだ〜一番私のことを見てくれてる課長が言うなら、私ここにいていいのかな!」と思った。なんて単純。

つまり、ちゃっかりと私は周りの評価によって自分の立ち位置を決めていたのだ。自分が認めるに値する人間なのか、この会社にいていいのか、を他人の意見で判断していた。周りの人からの肯定の言葉はあくまで仕事においての意見なのに、それを自分の人格肯定のようにも感じていた。

 

そうしてきた分、逆の場面では他人と一緒になって自分を攻撃した。上司から否定され続けた日々で、私は自己否定を強めてしまった。それが、私にとっては危機となってしまった。

 

自己肯定感や自己価値感を他人からの賞賛に頼ってしまう。

でも、そもそも、そんなものは”自己肯定”ではない。

”価値”という言葉にも、惑わされてないけない。

組織における、仕事スピードにおける価値ならば、私は低かったかもしれない。でも、組織における、色んな人やお客さんとほんわり仲良くなれる潤滑油部門においては、結構価値が高かったと思う。

家族における”価値”では、欠かせない一員である。

友達における、ほんわり部門筆頭である。

命ある存在である。それだけで十分だ。

価値というものは、何か一つの面だけで測れるものではない。

他人から与えられるものでもない。

 

どんなにヘマしても、あの時こうしてればよかったと思うことがあっても、私という人間の価値が損なわれる訳ではないんだよなあ。