うつで休職した話

体調と治療の記録

”自律神経失調症”整体へ

自律神経失調症の治療に特化した整体というものに行ってみた。

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きっかけは、一度ホットペッパーで行った妊活整体の先生にこの整体院をピンポイントで勧められた事だ。妊活も1年弱うまくいかず、自律神経失調からくる不調も完璧には治っておらず、体を根本から治さねばと思っていた。

問診票を書き終えて、先生がカウンター越しにジーッと私を見ながら、無表情で、ポツリ、ポツリと話しかけてくる。

 

「子宮周りの血の巡りが良くないですね。冷えは最近始まったものじゃなくて、昔からずっとそうだったんですね。」 

 

・・・確かに中学生にして冷え性自覚あり。妊活が上手くいかないのもそのせい?

 

「頭がフワフワしてますね。」

 

・・・サインバルタの副作用の目眩が強すぎて、普段の目眩は気にならなくなっていたけど。確かに、言われてみれば毎日少しは目眩がしてる。頭を動かすときは目を閉じないとクラっとする。

 

なんでこの先生見ただけで分かるの?透視なの?尊いの?怪しいの?スピ系なのに整体なの?私の考えてることも見透かされてる?

 

突然降ってきた難題にキャパオーバー。そして思考停止。

これ以上その疑問にのめり込むな!スピゾーンだぞ!と防衛本能が働いた。と思う。

 

とりあえず、施術を受ける。

座ったり横になって、頭やお腹を触って巡りをチェック(たぶん)

仰向けで寝る。手足の指をグルグル刺激して気か何かを体に注入(たぶん)

私の体の上空で指をこすり合わせながら気を整える(たぶん)

 

・・・いやいやいや!分からんて!!!

目つむってるから、何やってるかは音と感覚で想像したが、

こうゆうのって気功だよね多分。という決めつけで気を注入とか書いたが、

分からなさすぎる!!未!!知!!!

 

でも、スピ系の事を言われる訳でもなく、多くを語らず、押し付けがましくない。何か売りつけられる風でもなく、何となく騙されてる感じはしない。施術室に色々な資格の証書飾ってあったし。

 

1時間くらいの施術終わってみると、ちょっと頭がスッキリ。なんのストレッチもしてないのに、腰肩周りの可動域は広がってて不思議。でもそんなに劇的な変化は感じられず。口コミでは「施術が終わったらずっと悩まされていた頭痛が治りました!」とか書いてあったのに。

先生は「今はまだ、これまで蓄積されていたものがありますから。何回か通っていくうちに効果を実感すると思います」と。

その場で次回の予約を入れた。

 

あんなに疑ってたくせに、チョロいかよ!

 

でも「この不調を治すためなら出来ることはお金かけてでもやってみよう」と思っていたので、迷いはなかった。やってみて、ダメだったらそれはそれ。とりあえずやってから考えよう、の精神だった。

私はうつを発症した当初から、目の奥(特に効き目である左)の痛みに悩まされていた。主治医も「目の奥の痛みは自律神経失調の症状だという事が、最近ようやく認められ始めてきたんですよ。」と寄り添ってくれたけど、「自律神経失調が落ち着けば治ると思いますよ」と言われ、ひたすら我慢していた。でも、体調が良くなってきても、目の奥の痛みだけは改善しなかった。ちょっと携帯やTVを見ただけで目の奥の痛みが激しくなって辛い。こんなんじゃ復職して毎日PC見るなんて無理。

そんな状況だったので、この整体にかけてみた。

週一で通って3回目くらいで、施術翌日はあれほど辛かった痛みがなくなる日が増えた。TVとか携帯を前と同じくらい見ても、痛くならない。

これはすごい。

何も理解できないけど、すごい。

 

先生への信頼感が醸成されてきた頃、思い切って「気功みたいなものなんですか?」聞いてみた。鍼灸師さんとかも、気の流れを指先の感覚で感じるとか言うし、結構自信を持って聞いた。

「うーん、気功みたいなやつではあるんですけど、気功って訳でもないんです。専門用語を使わないで伝えるの難しいんですけど、、話しても分かりにくいかもしれません。世の中って仕組みは分からないけどなぜかそうなってる法則ってあるじゃないですか。そんな感じです。理解できなくても、効果は感じるでしょ。」

まさかの肩透かしをくらう。

確かに効果は感じる。でも理解したい!

量子力学とか関係あるんですか?」と食い下がる。

「お、量子力学とか興味あるんですか」と、初めて先生が少し前向きになって色々説明してくれたけど、私の理解力及ばず。ピンと来なかった。無念。もうちょっと勉強してもう一回聞いてみよう。

 

これ、怪しいとか思われる人もいるだろう。

何がどうなってるのか私もさっぱりだし、もし友人や家族からこんな話を聞かされたら、私も騙されてるんじゃかろうかと心配する。

でも通い始めて2ヶ月たった今、目の奥が痛くなることはほぼ無くなり、私のクオリティオブライフは格段に向上した、という事実だけ置いておく。

そしてこれ以上説明できそうにないし、この話は今日限りにする。

うつになる前の日常①

コロナで外出しづらい日々が続き、心配になるニュースばかりで気を削がれそうです。いや、削がれていました。

なので、TVを消し、ツイッターを閉じています。

絵を描いていたら、ちょっと漫画でも描いてみようかな、という気分になりました。

でも今まで漫画なんて描いたことないです。下手です。ご容赦下さい。

 

うつになる前の、私の日常です。

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この潰れちゃってる先輩と共通の上司がパワハラ系で、先輩は私より先に目をつけられてめっちゃ怒られ立たされていました。辛さを共有できる先輩と、怒られても屁でもない安定感のある後輩に恵まれ、飲みはとても楽しかったです。

描いてて元気になります。本当楽しかったな。

こうやって、ストレスを発散していました。

でも、この後も次から次へとストレス要因が増えていってしまいました。 

カウンセリング専門機関に行ってみた

復帰面談を控え、色々と考えを整理している。

まず、どういう経緯で鬱になったのかを整理する。

そして、鬱になった原因を考える。

それに対し、今後どう再発防止策を取るか考える。

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私の場合、原因は大きく2つ。

まず1つは、部署異動、職務内容の変化、私生活の変化(結婚、引っ越し)が重なったのに、仕事も家事も完璧にこなそうとしてしまったこと。

これからは、自分のストレスサイン(背中が痛くなる、とか)が出たらとにかく休む。すべき思考を捨てる。きっと、すべき思考は日々湧いてきてしまうから、日々意識して修正していく。

もう1つは、思うように仕事のパフォーマンスを上げられなかった時に、何とか打開しようと睡眠を削ってまで根詰めてしまったこと。

これはもう「睡眠だけは削らない!」に尽きる。信条として掲げるのだ。

鬱になって思い知ったのが睡眠の大切さだ。鬱になる前は4〜5時間しか寝てなかった。2018年のOECDの統計によると、日本人の平均睡眠時間は7時間22分。欧米の先進国と比べると1時間ほど短く、調査した加盟国中、ワースト1らしい。私は週末の寝溜めくらいでは到底挽回できないほどの睡眠負債を抱えていたのだ。

医師からの指導で生活リズムが戻ってからも睡眠は1日8時間は取るようにしているが、起きた時頭がスッキリして本当に調子が良い。

ちなみに睡眠時間については諸説あって、1日8時間がベストと言う定説もあれば、6時間半〜7時間半寝る人がもっとも長生きで幸福度が高いという研究もある。まあ、私は病み上がりなので、当面は私は疲れが取れ気持ちよく目覚められる睡眠を何よりも重視しようと思う。

 

こんな感じで原因と対策については良い感じに整理できていったが、どうしても1つ、うまく整理できない問題にぶち当たった。

厳しい指導をする上司からの叱責への対処法だ。

怒鳴られたことも、毎日のようにデスクの前に立たせれ長時間叱責を受けたことも、全部指導だとは理解しているつもりだ。でも、叱責を上手にかわせなかった自分に、未だに納得がいっていない。上司の期待に沿うような仕事ぶりをしたかったし、成長したかった。変わりたかった。「その上司の指導には合わなかっただけ」とか捉え方を変えようとしても、どうしても、期待通りに変われなかった自分がダメだったんだろうという思いが消えない。だから、今後同じように強く叱責するタイプの上司に当たった時に、当時の思いがトラウマのようにフラッシュバックして、また必要以上に自分を責め、追い詰めてしまうのではないか、と懸念してしまう。

これについては自力で認知の仕方を変えることは難しかった。そこで、思い切ってカウンセリングに行って相談してみることにした。私の通っていた病院では認知行動療法のようなことをじっくりやってくれる訳ではなかったので、他でサポートしてくれる所を探した。金額は50分8,000円だった。以前の私なら高くて手を出さないところだが、今の私には重要で必要なものだから、金額による躊躇はなかった。

初回の面談では、これまでの経緯を丁寧に聞いてくれた。先生は同意するでもなく、深入りするでもなく、ちょうど良い距離感で話してくれた。だからか、私も客観的に話せた気がする。そして今後、一緒になって上司との問題を整理してくれることになった。

面談の終盤、先生が「その上司は、もう異動していないんですよね。」と言った。

確かに、上司はもういない。今までもそこまで高圧的な上司に当たった事なんて無いし、社内でもそんなに高圧的な人はいなさそうだ。なのに、なんで私はこんなに怯えていたんだろう。

それに気づけただけで、心がふわっと軽くなった。

帰り道のカフェで、晴れやかな気分で美味しいコーヒーを飲んだ。

泣く人だけが、傷ついているわけじゃない。

私は休職しているが、徐々に回復してきて、医者から復帰OKの診断をもらった。

次は会社による復帰判断のために人事との面談があるので、どんな事を聞かれるのか、どういう事を話せばいいのかを会社のカウンセラーと話し合った。

「なぜうつになったのか」や、「どうやって再発防止するのか」など聞かれるらしい。ふむふむ、そりゃそうだろうな、と冷静に聞いていた。

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最後にカウンセラーから、「でも、うつになって休職した事をきっかけに色々な事と向き合ってきたから、この経験がこれからの糧となるといいですね。」というような事を言われた。

私は「そうであったらいいなと思います」と言いながら、不意にかけられたやさしい言葉が胸に沁み、少し泣いてしまった。

するとすかさず、カウンセラーが「あ、涙はね、面談の場で見せると、感情が安定していないと捉えられるおそれがあるので、脅すわけじゃないけど気をつけてくださいね。」と。

 

ハッとした。

悔しい時や悲しい時の涙は人前で見せるまいと思っていたけど、こういう緩んだ時に出てしまう涙も捉え方によってはネガティブなんだ、と。

この「涙は感情が安定していないサイン」という考え、すごく腑に落ちた。

私は、「休職して自分のことを、今まで以上に理解できた事は良かったし、これからに生きる。」と思う一方で、心のどこかで、一度休職してしまった自分のことを失敗作のように感じ、自分を肯定できていなかった。

挙げ句の果てに、「復帰後も、うつで休職した奴っていう目で見られるんだろうな、嫌だな。」と勝手に妄想を膨らませ、凹む次第だった。

だからこそ、やさしい言葉に対して、涙が出るほど心が動いてしまったのだ。 

「そう言ってもらえて嬉しいです」、ホロリ。と。

でも、面談で求められているのは、そんな事じゃない。

「あなたは、自信を持って復帰できますか?ちゃんと回復していますか?当社で働けますか?」って事なのだ。

それに対し、「当然です」と答えられるくらいの自信があれば、きっと感情は大きく動かずに済むのだろう。

 私は、そこまで心の整理がついていなかった事に気づいた。

今のままだと、(そんなコト言われたって、私だって不安なんです〜)と思いながら口先で「大丈夫です!」と答え、面談の百戦錬磨である人事に見破られるのがオチだろう。

まずは、休職した自分を認めるために、ネガティブに思っていることを書き出して、1つ1つ解釈し直していこうと思う。

そして改めて、どうやってうつを再発防止していくのか、考えていこうと思う。

そうすれば、すこしは自信が持てるんじゃないかな。

 

 

世の、泣かない人の強さ、というのは、

「そこについてはもう十分に、考えて考えて、考え尽くして、感情も何往復もして、自信つけたんで。」

という強さなのかもしれない。

その人に過去の傷があるからこそ、の強さなのかもしれない。

 

泣かない事が良い、ということではなくて、

泣く人も泣かない人も、傷はあるのかもしれないね、ということ。

こみ上げる怒りも、「すべき思考」の表れ

結婚してから、旦那との喧嘩が増えた。私がこんなに喧嘩してるなんて、思春期以来じゃないかと思うくらいだ。

何でも伝え合える方がいいと思って、旦那にこうして欲しいと伝える。例えば、洗濯物の干し方。「こうした方が早く乾くから、次からこうして〜」。

すると、旦那は旦那なりの考えがあってやっているのに注意されるもんだから、面白くない。むしろ、「俺はちゃんと洗濯物を干しているんだぞ、家事参加しているんだぞ、褒めてくれてもいいだろう」と思っていたんだろう。そして、言い返す。「細かいところまで管理せんといてよ。もう俺には分からんわ。なら自分でやってよ」

私はムッとなり、「これから上手に家事ができた方がいいでしょ。感情的にならないでよ!」と反論する。

 

バーンズ先生の本を読んで気づいたのだが、私たちの喧嘩は、自分の正しさを証明するための、”自尊心を守る戦い”だった。

相手が自分を批判したり、好まなかったり、考えに賛成しなかったりした時に生じる怒り。でも、どれだけ声高に相手の行動をあげつらい、自分の正しさ叫ぼうが、相手の人格を否定できる訳ではない。この世で自尊心を脅かす人はたった一人。自分自身なのだから。

 

そもそも、怒りの背景には、「すべき思考」がある。

「すべき思考」は、自分がいつでも満足できるという仮定に基づいている。他人を含む周りの環境は、自分を満足させるべきだと、無意識のうちに思っている。そして、自分が望むものを手に入れられない時、自分の気に入らない時に怒りが生じる。

だが、人は自由な意思を持っている。自分が気に入らないような考えや行動をとる。人を自分の希望に従わせようと思っても思うようにならない。自分が不正に扱われたという認識から、怒りが生じる。

怒りが生じた時には、以下の疑問を投げかけ、考えるといいらしい。

この怒りは、悪意を持って何かをした人間に向けられているか?

この怒りは有用か?自分の目的の役に立つのか、単に有害なのか?

 

こう考えると、私の怒りは不要なものだった。

「私のやり方が正しいんだから、旦那も受け入れてくれるべき」というすべき思考から生まれた怒り。それをぶつけた結果、旦那とはいつも言い争って、問題がスムーズに解決した覚えはない。

 

以前、糸井重里さんが、思ったことを何でも言い合える環境を良しとする文化に一石を投じていた。言いたい事を言い合って、いい結果で終わったことがどのくらいあるだろう?相手への配慮もよろしくね、と。怒りに駆られては、配慮どころでは無い。

また、相手の行動を変えたいのなら、悪いところを突くのではなくて、自分の希望にかなった動きをしてくれた時に褒める方が効果的だろう。

 

先日も、義母から「早く復帰してたくさん稼いでね〜!せっかく金融は給料良いんだから、絶対しがみついていきなさいね。」と言われた時にも、怒りのような葛藤のような感情が出てきた。義母と私の価値観は別物だからと気にしないようにしても、もやもやしてしまう。

これも、「職場環境が合わずに鬱で体調を崩しているのだから、周りの人は早く復帰して頑張ってまた稼いでとは言うべきではない。」という「すべき思考」があったからだ。

 

「であるべき」というルールを持っていると、失望や葛藤の原因となる。「であるべき」を「であれば素晴らしい」に置き換えることが現実的で有用な第一歩だ。

怒りを頻繁に引き起こす考え方は歪んでいる。その歪みを直せば怒りの回数は減る。

もちろん相手にも「すべき思考」があって言い争いになるんだろうけど、相手の思考を変えることはできない。

ごきげんに生きるためにも、自分の思考の歪みを修正していこう。

 

 

*これは、バーンズ先生の本の内容を私なりに解釈したものです。

【断薬中のこと②】シャンビリが長かった

サインバルタ断薬中のシャンビリ

頭がシャンシャンし、体がビリビリする。通称シャンビリ

たいてい1か月もあれば治るらしいが、私の場合2〜3か月間悩まされた。

目を動かしたり、頭を動かすと、頭の中がぐわんって揺れた。手足など体の末梢を中心にずっとビリビリ痺れていた。経験したことのない体の異常に気力も削がれていった。

でも、断薬したての頃は、断薬できるくらいになったんだから自分は結構回復してるんだ、動けるようになってるはず、と思っていた。投薬中は結構元気に動けていたから、その調子で考えていた。実際は、動けていたのは薬の効果なのか自分の体調の回復のせいなのか分からないのに。

動けるものと思い込んでいた私は、シャンビリがマシな日には自分の気分の赴くままに色々行ってみていた。

例えば、友達と飲みに行ってみた(今考えるとオイ!って感じだが)。友達の元気そうで仕事も順調そうな姿を見て、私もすごく元気をもらった。この頃は体を動かすとシャンビリがしんどかったが、笑ってお酒飲んでる時は感じなかった。のでついつい飲み過ぎてしまった。

案の定、翌日は今までにないくらいダウンした。目はモノモライになるし、腰がありえない位痛かった。体はまだまだ疲れてるんだなと感じた。この月に来た生理は史上最強に辛かった。腰もお腹も痛すぎて何もできず、夏前なのに湯たんぽを抱えてずっと寝ていた。

楽しんだ翌日のダウンは結構メンタルに響いた。婦人科系をはじめ色々な体の不調が何倍にもなって出てくる。そりゃあ、自律神経も正常じゃないし、免疫も落ちてただろうし、運動もしてないから血流も悪いし、不調になるのも分かるけど。でも、このまま病気のオンパレードにはなりたくない。

この時期は、旦那が休日の朝ごはんから夕ご飯まで全部作ってくれた。ご飯を作ってくれるなんて結婚してから初めてだった。簡単なものだったけど、人が作ってくれたご飯ってこんなに美味しいっけ。

今後の2人のためにも、どう生きたいのか、どう働くか、よく考えないと。と思った。

 

今になって考えれば、断薬中にそんなに焦って動かなくても良かったと思う。

徐々に徐々に良くなっていくのだから、行動目標とか作って自分にプレッシャーをかけても、後から体に響いて凹むだけだった。ゆったり過ごしていれば、心身ともに安定した日々を過ごせただろう。でも、早く会社に復帰しないと、という気持ちがあって、私はゆったり余裕を持って過ごすことを自分に許せなかった。ここにもうつの原因になった「思考の歪み」の1つ、「すべき思考」があった。

【断薬中のこと】今の自分との良い関係

私が「歪んだ思考の日常記録」を始めたのは、断薬の副作用シャンビリがちょっとずつ落ち着いてきた頃だった。

と言っても、日によって体調が大きくブレる。断薬前よりエネルギー電池が減っている感じで、疲れを感じやすかった。初期に感じていた漠然とした無気力感は無くなってきたが、体調面が回復しない焦りがあった。

自分が断薬して本当に大丈夫なのか、治療期間は伸びてしまうのだろうか。心配事はたくさんあったし、乗り切れる自信みたいなものがあった訳では無かった。

でも、人生はトライアンドエラーの繰り返しで少しずつ修正していけばいいと思えた。自分で仮説を立てて検証してみる、ダメだったら他の方法を試す。そうやって自分に合う方法とか、自分のいいところを活かせる方向に修正していけばいいやと。

当時の私は薬に頼らない認知行動療法というものに興味を持て、今後のために自分の認知の仕方を変えようという意欲っぽいものが少しずつ出てきた。

でも、気力十分ではない今の自分とどう付き合えばいいのか。認知行動療法を試したいと思っても、つい家のソファやベットで虚無な時間を過ごしてしまう。「よし、今から認知行動療法の本を読もう」という気にならず、他のことをしてしまう。

バーンズ先生は、気力とは、ある種行動することで湧いてくるものだと言った。

「気力→行動」ではなく、

行動→気力→次の行動」なのだと。

 

ぐずぐず主義者はこれに気付いていないらしい。気分が熟すまで待っていたら、永久にその時は来ない。私だったら今日も行動できなかった〜と罪悪感も感じてしまう、気力を基準に動かない方が良いかも、と気付いた。

だから、とりあえずカフェに行ってバーンズ先生の本を読みながら「歪んだ思考の日常記録」を付けることをやってみた。カフェなら行ける気がしたし、カフェに行ったら「歪んだ思考の日常記録」を付けるか、バーンズ先生の本を読む時間と決めてみた。

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やってみたら、思ったより気分が良くなった。認知行動療法も少し進められた!というプチ達成感も感じられた。思った以上の達成感と清々しさだった。

でも、急に毎日認知行動療法ができるようになった訳じゃないし、日によって体調を見ながらだった。だから急に自信が付いたわけではない。コツコツやって、少しずつ「良くなってきたかなぁ?」と自問自答しながら、アップダウンがあって少しずつその平均ラインが上昇していく感じだった。